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【Online5/3-7】NVC×マインドフルネス・GW集中トレーニング〔西東万里〕

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NVCは身体性。

NVC実践でつまづいているケースの多くが、
身体性が伴っていないこととお見受けします。

難しいことではないのですが、
できない・難しい・わからない「と思っている」なら、
やってみませんか?

NVCの身体づくりにフォーカスした、
ゴールデンウィーク集中・早朝トレーニングプログラムへのお誘いです。

プログラム内容

朝7〜9時の爽やかな時間帯に、NVC実践の身体性を養うマインドフルネス・トレーニングをおこない、その身体での「観察」や視点の掘り起こしをおこないます。

「基礎づくり」でおなじみの、呼吸法や身体の観察、ボディスキャンなどをじっくりおこなうほか、「ありのままをみる」ためのいくつかの練習や課題などをやりつつ、「過去のしがらみ(痛み)のない、自然な分かち合いが可能な、つながりの質」を体感する道を拓いていきます。

今回の早朝プログラムでおこなうことは、以下の2点です。

  1. マインドフルネス・トレーニング……呼吸と集中、全体性への気づき、ネガティブ・ケイパビリティ
  2. NVC的思考法トレーニング……事前にお渡しする「問い」について考えることを通じて、NVC意識をたがやす

身体と思考、双方からのアプローチでNVCを探求していきます。

当プログラムは参加者の実践で構成しますので、同じ目的・内容で講師による講義を求める方は「共感的コミュニケーション基礎づくり」をご受講ください。

NVCとマインドフルネスの出会い

「NVCはシンプルだけど、いざ実践しようとすると難しい」とは多くの人から聞く言葉です。

実際、NVCは観察・感情・ニーズ・リクエスト(それぞれの頭文字をとってOFNRと略します)の4つのステップを実行するだけ、です。

NVCは難しいと感じるなら、実践の際に、自分の身体性へ意識を向けてみましょう。

きっかけはそれだけです。

すると何が起こるか。

やってみないとわからない。

でも一人ではちょっと難しいこともあります。

気づいている「つもり」になって、実は自分を見ることから目を逸らしていることも多く起こっています。

ただ、それに気づいて改めて「自分を見つめよう」と思い立ったとしても難しいのです。自分への負荷を高めてしまっているからです。換言すれば、「がんばっている」という状態で「今ここ・ありのまま」を統合的に受け入れることは至難です。

——「がんばらない」とは(世間でもよく言うけれど)いったいどういうことでしょうか。

がんばることがダメなのではない、がんばらないことが良いことなのでもありません。がんばる・がんばらない、を超えたところの「がんばらない」なのです。

しかし、それはどうすれば可能なのか?

その鍵を、ナビゲーター(西東万里)はマインドフルネスに見出しています。

「NVCは呼吸とおなじ」

ふだん私たちは、呼吸をめったに意識することがありません。

がんばることが必要なときもあれば、まったく気にせずがんばるなんてことすら思いもせずしていることもある、それが呼吸です。

マインドフルネス・トレーニングは、呼吸を通じて「今ここ・ありのまま」へ気づいていくためのものです。

NVCはがんばってやるものではない、けれどもがんばらないでは難しい。そんな矛盾した壁を乗り越えるのに、マインドフルネス・トレーニングが役に立つのです。

最初はまったく別もののように見えるマインドフルネスとNVCが、それぞれをトレーニングするうちに、やがて統合されていき、「難しい、ということじゃないんだ……」というのが見えてきます。

もちろん一朝一夕ではできません。身体はショートカットができません。

今回は集中プログラムという形で、自分の身体に覚えさせ毎日の習慣づくりのきっかけにしていただきたいと考えています。

(ちなみに共感的コミュニケーション基礎づくりでは6週間かけてトレーニングをおこないます)

ナビゲーター(西東万里)とマインドフルネス

西東が、自分を見ることを実直に突き詰めるために実践してきたのが、マインドフルネス・トレーニングです。

パフォーマー(現代朗読家)でもある西東が自身の表現を追求していく過程で、さまざまなボディワークや武術の稽古を通じて腑落ち=身体による理解(あるいは認知、認識、自覚、気づき……)を少しずつ得ていった体験が、このプログラムのベースにはあります。

改めてマインドフルネス・トレーニング(ヴィパッサナー瞑想)に取り組んで初めて、自分がやってきたことはまさにマインドフルネス・トレーニングだったのだと理解しました。

マインドフルネスの探求は自己満足に終わらないかと疑う方もいるかもしれません。西東の場合、その成果は自身のパフォーマンスに反映されます。つまり、観客の評価にさらされ、ごまかしようがないのです。まさに身体を張っての探求です。今もなお探求は続き、行き着く果てがない(そしてそれが喜びである)ことを自覚しています。

とはいえ、この方法論は個人の資質によるものなのか普遍性をもつものなのか、という疑問もあります。そこは、多くの人たちへの朗読指導やNVCのシェア(講座やサークルやサポート等)を通じて検証してきました。

そして、呼吸をNVC実践の入り口とすることで、万人のためのNVCを現実のものとする道をひらきました。

「できる・できない」ではなく「やるか・やらないか」。選ぶのはあなたです。

 

なお、日常的にマインドフルネス・トレーニングをしているという方には、マインドフルネス・カレッジ(井上ウィマラ学長)で行なっている「非暴力コミュニケーション論」(西東が担当、開催は1〜2月を予定)の受講をおすすめします。

開催要項

日時:2023年5月3日(水祝)〜7日(日祝)全5回/7:00AM〜9:00AM

※できる限り遅刻しないようにしてください。早退OKです。

会場:zoom(受付完了後に通知)

参加費:税込 24200円(基礎づくり修了生:19800円)

申込:https://goo.gl/forms/DCLVJcJeLE6u9FNA2

西東万里(さいとう・まり)プロフィール

NVC-Japanネットワーク事務局長係。2007年以来数十回に及ぶ海外トレーナー招聘ワークショップやIIT(NVCの国際機関CNVCの国際集中訓練)のマネージメントに携わる。また、NVC-Japanネットワークのサイト立ち上げ、共感トランプ、NVCダンスフロア日本版の製作等々、日本におけるNVCの普及とコミュニティづくりに尽力。小中学校・ロータリークラブ・病院他各種団体に招かれて講演やワークショップ、NVCを生かした子育て・教育のサポートやカウンセリング等を行う。また、全国各地のコミュニティや、市民・政治・消費者団体などからの要請に応じ、NVC勉強会を積極的にサポートしてきた。「共感と表現」をテーマとしたワークショップなど身体性とネガティブ・ケイパビリティにもとづく、独自の視点でのNVCプログラムを展開。NVC-Japanネットワーク『身体にみちびかれるNVC~基礎づくり講座』メイン講師。音読療法士(音読療法協会)・朗読家(現代朗読協会)。日本平和学会、韓氏意拳学会会員。

日本のNVCとともに歩んで

西東は2007年に、現代朗読トレーニングの一環としておこなっていたアレクサンダー・テクニークの教師・安納献さん(『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』監訳者)に紹介されてNVCを学びはじめました。

しかし、2012年に翻訳書『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法(日本経済新聞社刊)が出るまでは、同好の士も日本語の資料もごく少なく、NVCという語を知る人もなく、ないない尽くしでした。

海外からCNVC認定トレーナーを招聘してのワークショップを開催しても人が集まらず、少しでも経費を節約するために、(当時は広めの古民家に住んでいたので)我が家をトレーナーたちの宿泊所にしたり、ワークショップや合宿の会場にしたり、と身体を張り家族を巻き込んで、七転八倒しながらほそぼそとNVCの勉強の場を作ってきました。

(東日本大震災後、NVCのようなコミュニケーションが求められるようになり、「NVC」本が出版されて、ようやくNVCが少しずつ知られるようになりました。今では教える人も増え、震災前とは隔世の感がありますね!)

最初の5年ほどは、海外のトレーナーたちを招いてNVC入門ばかりやっていました。

彼らに教えられていろんなワークをやり、試し、資料ももらい、しかし人との関係性が良くなったとも思えず(そんななかでも、時折うれしいことや目から鱗の体験があったり、仲間が増えたりしていったのでなんとか続けられたのですが)、またNVCを人に説明したり伝えたりする際の言葉や論理性に矛盾を感じることがあったりして、「NVCの理論はすばらしいのに、なぜ実践がうまくいかないのか」「同じ言葉づかいで対話しているのに、なぜうまくいくときといかないときがあるのか」という悩みがずっとついてまわっていました。

要は「身体性」なのだ

——なんとなくそう感じ、そうトレーナーも言うのですが、じゃあその身体性ってなんだ? NVCをやりこんだら身につくもの? じゃあ○年やっててできないのはなぜ? 何年必要なの?

わからないながらもトレーナーたち、たとえばJim Manske氏やJeff Brown氏の言う「savor(味わう)」、Jorge Rubio氏の「フグ」、「純粋な(感情やニーズ)」という言葉、「深呼吸して」との呼びかけ……等々、理解はできずともそうした断片的なキーワードが西東の中に積もっていきました。

やがてSarah Peyton氏のNVC×脳科学、その参考書とされたダン・シーゲル著「マインドサイト」、ポリヴェーガル理論、ガザニガの分離脳研究による知見、ベティ・エドワーズ「脳の右側で描け」体験、一方で西東が携わっていた音読療法や現代朗読や武術でのマインドフルネス(的な訓練)とフローの探求(セリグマンやチクセントミハイら、ポジティブ心理学)およびパフォーマンス中のフロー体験、瞑想での走馬灯体験、非二元や中動態、スピノザやトマス・アクィナスなどなど、NVCにとどまらないさまざまな活動・体験・学習を経て、NVCの理屈・構造の再発見がありました。

一言でいうと、NVCのOFNRを「忠実に実践」したときの身体の反応は、フローに至るプロセスと重なるのではないか、そしてフローはマインドフルネスの延長線上にあるのではないか——。

身体訓練、あるいはマインドフルネス・トレーニングでつちかった身体性をもってNVCの4つのステップを理解して実践すると、OFNRがひとつの流れとして起こる。それにより思考パターンが解体され、新たな(自分に負荷をかけない)神経回路が作られる。

これらは体験的にそうだと言えるもので、エビデンスとしてまとまってはいなくても、実際に起こっている・知っている人も多いことかと思います。なのになぜ難しさがあるかというと、「企む(狙う、目的とする)」と再現ができないからです。

起きる現象はすべて結果であって、狙ってはできない。最短ルートでは至らず迂回するかのようなルートをとり、一見辻褄があわないので納得しにくい、よって試みることもなかなかしない……のですが、近年明らかになってきた脳のはたらきとは整合性があるように思います。

呼吸が自律神経に及ぼす影響、人間に備わるホメオスタシス(恒常性)や動的平衡といった、ある程度自明と言ってよいと思われる生物・生理の面においても、整合性がとれていると思います。

ただ、人にお伝えするにあたっては、説明がしにくい。「やってみればわかります」という類の話になるので、やる前に効果や想定できる結果を知りたいと思う欲求には応えられません。身体トレーニングを積んできた方には、何の齟齬もなく通じることなのですが。

西東も、これまでの長年の体験の積み重ねからつかんできたことなので、何がどの理論に基づいている等を具体的に指示することができないのですが、やってみさえすればそんなに難しいことではない(なかった)、なーんだ、というようなことです。

ともあれ、考えをつきつめていくのではなく、身体を慣らしていくようなことで、自然とできることであり、自転車に乗れるようになれば、その後はまったくがんばる必要なく乗っている、といった体験と同じです。ただ、自転車の比喩は自己啓発系ではよく使われますが、NVCの場合、その後は練習がいらないというわけではないのです。練習はし続ける必要があります。自転車よりは筋トレと言えるでしょう。死ぬまで続く筋トレですが、がんばるのではないのです。

……言葉にすればするほど伝わらなくなる感じが否めませんので、このへんでやめましょう。

2022年度〜は井上ウィマラ氏や島田啓介氏ら日本のマインドフルネスを牽引する諸氏により立ち上げられたマインドフルネス・カレッジにて「非暴力コミュニケーション論」講師を務めてもいます(ただしこちらはマインドフルネス実践者や指導者を対象としており、マインドフルネスのスキルがすでにあることを前提としてNVCの理解に比重を置いています)。

言葉をつかう意義(重要性)

もうひとつ重要な点を——今回のプログラムでは直接触れない可能性がありますので——付け加えておきます。NVCが「言葉」を用いるということについてです。マーシャル・ローゼンバーグの洞察の鋭さ、深さを感じずにはいられません。

NVCにおける感情やニーズの言葉は、完全に独立した「純粋な」語です。何か・誰かと紐づけません。無論、こういう捉え方はその前にジャッジを手放せていなくては不可能なのですが、それができていてなお、言葉には内包するものがあります。それは実は当人のジャッジの集大成とも言えるのですが、言葉は思考の道具であり、その人の生きてきた軌跡の反映です。今目の前で起こっている刺激に動かされるのではなく、私の全人生が投影された言葉を「純粋に」受け取り味わうことで身体性が変わるのです。

これも結果として変わるのであって、変えるのではありません。どう変わるかは、事前に予測はできません。予測不能な未来・未知に開くことができるか、その勇気が持てるか、そこにマインドフルネス・トレーニングが生きてきます。

NVCは、身体と思考がともに手を取り合うことで「わたし」を十全に生かす方法だというのが、西東の現時点での定義(のひとつ)です。

結論

やってみないとわからない。だからやってみませんか。他者にジャッジされることのない、自分で判断するトレーニングです。だから、どうぞ気楽に。

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